Bonds with a soul

2014年04月17日

理性を育てる

事故などに出会う前、人はその場所に導かれるように向かってしまうものです。
この道を曲がらずにまっすぐ行けば事故には遭わなかったのに…ということはよくあります。

では、なぜ曲がってしまうのか。

人は自分の意識でそう決断したと思っているかもしれませんが、果たして本当にそうなのでしょうか。
確かに、曲がろうと決めるのは自分なのですが、導かれるようにそう決めてしまっているかもしれないのです。

私たちが物を考える「脳」というもの、人間は脳からの指令で動いているとして、その脳に指令を送るモノがあるとしたら…。

特に事故などはまるでパズルがぴったりと合うかの如く、絶妙のタイミングで起こるものです。
巨大な迷路の中にいると迷ってしまいますが、それを上から全体を見渡すようにいると、この先に何があるのかわかると思いませんか。
私たちが迷路の中に、脳に指令を送るモノが迷路を上から見ているのならば、「曲がれ」と指令を送ることで様々な結果へと導くことができるのではないでしょうか。

脳に何かが指令を送るなんて話は、フィクションの物語と感じるかもしれませんね。
フィクションだと笑い飛ばせるのならばいいのですが、実際にあるのです。

極端な話ですが、事件等を起こした人などの中には、何かに命じられたという人もいます。
精神的な病、違法な薬、そういう物の影響もあるでしょうが、中には本当に指令を送るモノが存在していることもあるのです。。
だからといって、やったことへの責任がないかといえば、そうではありません。

私たちには「理性」というものがあります。
通常はその「理性」が脳へと指令を送るのですが、「理性」を失い、他のモノの指令を抑えられない場合があるのです。
そういう風にしてしまったのは、本人なのですから、その責任も本人にあるのです。

「理性」とは、教育によって育つ部分と生まれ持った部分(こちらも育てるもの)があります。
教育のよるものは、道徳とかその地域の風習、家庭内での影響も大きいものです。
そして生まれ持ったものは、個々によって違いがあります。
二つが合わさって「理性」となるのですが、これがうまく働かない人、または働かない瞬間というものがあれば、後々自分でも「わからない」というような結果を迎えるのです。

先の事故の例などは、生まれ持った理性を育てていない場合などに「警告」という形で起こるのではないかと考えられます。
逆に事件というを起こす、事件まではなくても通常以上の問題行動を起こすなどの場合は、何かが入り込んで脳を支配しているかもしれないのです。
この判断は個々により違いますが、私たちの脳というものは、私たちが思う以上に簡単に操作される可能性があるのです。

そこまで深く考えなくても、アクセルとブレーキを間違えて、一生懸命に「ブレーキ」を踏んだつもりで「アクセル」を踏み続けて事故を起こすという話がありますよね。
この場合は、思い込みや焦りなどに脳が支配され、体が動いているのです。

生まれ持った理性とは何であるのか、ポイントはそこですよね。
一言でいえば「魂」なのですが、これが分かり難いのです。
見えませんし、本当にあるのかさえも証明のしようがないのですから。

ただ「ある」と思うしかない、これに尽きてしまうのですが、誰の心にも法律や道徳に反するからというだけではなく、「こうあるべきだ」とか「こうしてはいけない」という思いがあると思うのです。
「ないよ」と思っていても、どこかにあるもので、それに気づき、それに沿って生きていくことで、生まれ持った理性は育っていくのです。

今、この「理性」が失われてしまっている人が多くなっています。
常識がないね、という程度を遥かに越えた人が多いということです。
一人でも多くの人が、理性というものの存在、そしてそれは育てていくものだという認識を持っていただければ幸いです。

真実への扉は・・・本家にある

ニックネーム 虎山 at 13:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする