Bonds with a soul

2014年04月22日

願いを叶えてもらう覚悟

神社仏閣などでお願い事をするという形ではなく、ただ独り言のように願いを口にする、または思うという状況があります。

たとえば、身近な人が病に倒れた時に「治してください」とか、事故で命が危ういという時に「助けてください」と何かに向かって願いを発していることがあるということです。

神社仏閣に出向いて願い事をする、これはそこにおられる神様や仏様にお願いをしているというわかりやすい形があります。

しかし、独り言のように呟いた、または声に出さずに思った、それは何に対してなのでしょうか。

人はどこかで神仏という存在を認め、そして縋ろうとしているのです。

普段は認めなくても、苦しい時には頼る、いわゆる「困ったときの神頼み」というわけです。

困った時だけ願いを叶えてもらえることなどない、と常日頃言うのですが、実際にはその願いを叶えてもらえる時もあるのです。

しかし、これは喜ばしいことかといえば、実はとてつもなく怖いことなのです。

私たちは神様は仏様が願い事を叶えてくれるのは無料(見返りを要求されない)と思っている節がありますが、実際にはそうではありません。

何かを差し出さなければ、願いは叶えてもらえないのです。

ですから、「私が身代わりになりますから妻を助けてください」と願えば、叶えてもらえた時には自分の命はないのです。

自分だけの問題であるのならば、覚悟もできるかもしれません。

しかし、自分だけではなく自分の子や孫などを巻き込む形で願いを叶えてもらうパターンもあるのです。

「全財産を差し出すので夫を助けてください」と願い、それが叶えば、全財産を失うことになるのです。

ただし、きちんと自分の全財産をどこかに寄付するなど、自分の言った言葉を実行すれば、本当の「財産」を失うことはありません。

とはいえ、助かってしまえばそんな馬鹿正直に払う人なんてほとんどいません。

ですから、本当の「財産」を失っていくのです。

それは命であり、子孫なのです。

自分の命だけならば幸運ですが、子孫となればどうでしょうか。

早くに亡くなってしまうという形だけではなく、一家離散という形もあり、とにかく悲惨なのです。

これが先に書いた「とてつもなく怖いこと」なのです。

知らないゆえに、気軽に願ってしまうのです。

身代わりになるとか、全財産を差し出すからとか、そういう風に自分から条件を言うだけではなく、言わずとも叶えば有無を言わさずに取られる「何か」があるのです。

叶えてもらえない、という状況の方が実際にはずっと幸運なのかもしれませんね。

幸か不幸か、願いが届く人がいるのです。

そういう例を何度か見せてもらったからこそ、願うからには相当の覚悟(自分の命を投げ出す)が必要であり、また覚悟もなしに願うことは止めた方が良いのではないかと思うのです。

真実への扉は・・・本家にある

ニックネーム 虎山 at 17:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする