Bonds with a soul

2015年07月27日

些細な驕り

奢れる者も久しからず、たた春の夜の夢の如し

平家物語の一節ですが、人は知らず知らずのうちに「驕る」瞬間を持ってしまうものです。

思い切り驕っているのならば、それは「驕り」なのだと気づくことがあるかもしれません。

しかし、ほんの些細な驕りであれば、それに気づくことなく過ぎてしまうかもしれません。

しかも、そういう些細な驕りを修正しなければ、それが癖となり、常にわが身に返ってくることになります。

お金持ちが「この貧乏人が!」と人を見下すようなものならば、誰の目にも「驕りだね」と判ります。

そういう態度はダメなのだとそこから学ぶこと(反面教師として)ができますから、心掛けていくことができますよね。

些細な驕り、たとえば、車を運転していて自転車が前にいたとします。

その時に「邪魔な自転車だな」と腹立たしく思ったとして、それが「驕り」だと思えるでしょうか。

ただ単に腹の立った出来事、という程度の認識ではありませんか。

見下したつもりはない、ただ運転する際にちょっとだけ腹立たしく感じただけだ、それなのに驕りなの??

そう思うかもしれませんが、見下したつもりがあろうとなかろうと、自分の運転を妨げるかもしれない存在に対して「そこを走るな」という気持ちが多少なりともあれば、自分の方が上なのではないでしょうか。

同じように自分は車で事故をしたことがないとして、それをついつい自慢してしまうことがあるかもしれません。

その時、少しでも事故をする人に対して「あなたとは違って私は事故はしないのよ」という気持ちがあれば、それも驕りなのです。

本当に些細なことですが、気をつけていかなければ、平家のように滅びることはないかもしれませんが、運の悪さを自分から招く結果になるかもしれません。

腹が立つ、自慢をする、そういう際には、それが「驕り」ではないか、時には自分なりに顧みてはいかがでしょうか。

真実への扉は・・・本家にある

ニックネーム 虎山 at 12:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする